松永 和紀著の『ゲノム編集食品が変える食の未来』を読む。非常によく書かれている良書である。
主にメディアのバイアスと思われるゲノム編集食品はまだ安全性に疑問があるという論調が目に余る。私自身は本件に3点の論点を持つ。
- 人工の爆発的な増加による『飢餓』と『環境問題』という相反する課題に対する解が必要である。
- 例えば糖尿病薬インスリンの投与はゲノム編集大腸菌による大量生産での一般に普及した。しかし、ゲノム編集がなければ、現在の技術では工業的には不可能。ゲノム編集は役に立つし。信頼性に問題はない。
- 農薬等に危険に対する定量的のない議論。イノベーションと人間(なぜ私鉄の駅の方が栄えているのか)
- 序章 ポストコロナ時代のフードセキュリティ
- 日本にいると分からないが、世界的には7億人飢餓に陥る可能性のある人々が存在する。
- フードセキュリティには3種類ある
- フードセーフティ(農薬や食品添加物の適正利用)
- フードディフェンス(食品に毒物を仕込む犯罪防止)
- フードセキュリティ(全世界で6億9千万人飢餓。+6千万人/5年。パンデミック+1億3千万人)
- 遺伝子組み換え技術でガンになるという科学的エビデンスは存在しない。(例:大豆)
- レジリエンス(パンデミック等で打撃を受けてもしなやかに元に戻る弾力性:SDGs)を獲得する。
- メディアの科学リテラシーの低さ
- 「自然だからいい」に潜む危険
- ゲノム編集技術:クリスパー・キャス9 ノーベル賞受賞
- 第1章 誤解だらけのゲノム編集技術
- 遺伝子組み換え技術(外から遺伝子を挿入)vsゲノム編集技術(今ある遺伝子を編集)
- 自然界でもゲノムの編集は頻繁に発生している(突然変異)
- ゲノム編集は開発コスト(時間)を減らすことができる
- クリスパーの検索部位を間違える確率は1/1兆以下
- 第2章 ゲノム編集食品が食卓を変える
- 筑波大 江副教授 ゲノム編集による機能性野菜。高GABAトマト。(下記玉ねぎとは違う)
- 玉ねぎが糖尿病に良い?→実は1日に50kg摂取必要(メディアのバイアス)
- 世界一のトマトデータベースTOMATOMAの運営管理(筑波大)
- 農研機構:収量の多いイネを目指す
- 魚の養殖が変わる(マッスルマダイ)←肉牛の品種改良と原理的には同じ
- 毒のないジャガイモ
- 第3章 ゲノム編集の安全を守る制度
- 「自然だからいい」なんてことはありません。
- 「自然・天然は善・安全で、人光合成は悪・危険」という思い込み
- 3つの安全性
- ①人が食べた場合の安全性
- ②飼料としてしてゲノム編集作物が用いられた場合の、家畜や魚に対する安全性。さらに、その家畜の肉などを人間が食べた場合の安全性
- ③ゲノム編集食品になる作物や家畜、魚などを栽培飼育する際の、野外のほかの生物、生物多様性に対する影響
- 科学的にはゲノム編集食品は従来食品と同等に安全
- 食品としての安全性を守る規制は3種類ある。(タイプ2・3は実用化未)
- タイプ1:ゲノムの特定部位を切って自然の修復ミスで遺伝子変異を引き起こすもの(届出)
- タイプ2:細胞内のクリスパー・キャス9挿入時にDNA鋳型も入れて塩基配列をコントロール
- タイプ3:外来の遺伝子も一緒に細胞中に入れて、ゲノムを切れた際に外来遺伝子も入る
- 角がない牛が提示した課題 微生物由来の抗生物質耐性菌が入り込んでいたという事故 しかし、実験目的で開発され、牛の生育や乳、肉の安全性には問題がない。
- ゲノム編集食品の包装などへの表示は、全工程の履歴管理も含めコスト膨大というジレンマ。
- ゲノム食品の届出第1号は高GABAトマトになる 早ければ22年はじめに店頭へ。
- 引合いに出されるEUは審査基準が決まらず膠着状態。GMO指令でタイプ1でも安全性審査必要の為。
- 米国はゲノム作物は農務省所管。日本のタイプ1相当は規制対象外で届出のみ。商品化は大豆一種。
- 第4章 ポストコロナで進む食の技術革新
- 地球の職をめぐる3つの機器的状況(フォードセキュリティ)
- 急激な人口増加により求められる食糧増産
- 温暖化対策
- 新型コロナウイルス問題で激変する生産と流通
- 空気中の窒素からアンモニア合成とメンデルの法則1950年頃から収量飛躍的向上「緑の革命」
- しかし、大量に使用した肥料成分が環境中に拡散し環境汚染、農薬、水の使いすぎが問題に。
- 行きすぎた「緑の革命」の反省から、化学肥料や農薬を抑制し、環境負荷を考えた農業を展開。
- 温暖化で求められる新品種の開発:ゲノム編集技術で耐高温性品種の開発をコスト・時間を効率化
- 気温が3℃上がると北海道・東北以外ではイネの栽培ができなくなる。
- 新型コロナウイルスの影響は途上国で深刻
- 育種で高める農と食のレジリエンス:品種改良の推進 エネルギー栄養だけでなく微量栄養素に注目
- 日持ちをよくして、食品ロスを減らす品種改良
- 肉を減らして、植物性食品を増やす→植物や水を家畜に与えるより、ヒトが直接食べるほうが効率的
- 培養肉は安全?→培養肉はホルモン添加や家畜の持つ免疫性などがない等。
- 昆虫食は国連の提案で研究が始まった。コオロギ:牛肉の6倍の効率でタンパク質にできる。
- 自然のサツマイモのゲノム解析の結果、微生物のDNAの一部がサツマイモに入り込んでいた。これは、遺伝子組み換え技術でやっていることが自然界の進化の過程でも起こっていることを示唆。
- 地球の職をめぐる3つの機器的状況(フォードセキュリティ)
- 第5章 ゲノム編集をめぐるメディア・バイアス
- 遺伝子組み換えへの先入観が、理解を妨げる:同教材でのゲノムの勉強も「先入観」で評価が二分
- 実用化されている遺伝子組み換え技術:世界の栽培面積のトウモロコシ30%、大豆78%、ナタネ29%
- 除草耐性の他にかんばつ耐性、ウイルス抵抗性、害虫抵抗性など。不耕起栽培など省力化に有効。
- 過剰規制の教訓
- 除草耐性:植物だけが持つ代謝経路に関わる。哺乳類には無害。
- 害虫抵抗性:虫の消化器では分解され虫には有害だが、ヒトは消化分解できずに安全。
- 遺伝子組み換え食品が危険という反対派の根拠の一つに長期摂取試験が行われていない。
- 欧州委員会出資研究でラットに遺伝子組み換え食品を2年間与える試験。リスク認められず。
- 消費者の思い込み、誤解を解くために行政は審査をより厳格化、細分化、「重箱の隅」逆効果
- 日本だけではない!
- 結果、莫大な開発投資が必要、投資回収に平均13年かかる。体力のある会社しかできない。
- だからこそ、遺伝子組み換え技術に代るゲノム編集技術に期待がかかる。
- モンサント法と言われた種子法の廃止。2年経つのに恐れていたイネや大豆の外資企業参入なし
- 種苗法改正:「品種育成権者の権利保護」「海外流出防止」「自家増殖の禁止→許諾制」
- 農家が増殖した分を海外へ持ち出すことを制限できず。←因果関係?山﨑記
- 対象は登録品種のみ。元々ある在来種や開発者が品種登録せずと野菜登録後25年経過は除外
- 日本では自家採種する農家はわずか。種子更新しないとだんだん劣化する。←実感ある山﨑記
- 第6章 「置いてけぼりの日本」にならないために
- 食料自給率38%が意味すること→実際はもっと低い実感→フードセキュリティ上の問題
- 国産は安全、高品質なのか?→BSE以降先進国でリスクアナリシスの仕組み導入。諸外国に較べて日本の食品が、ことさら安全、危険と言える根拠はない。
- 有機栽培は救世主ではない
- オーガニック食品は安全→有機農業では遺伝子組み換え品種。ゲノム編集品種の利用を認めていない→遺伝子組み換え、ゲノム編集は危険という三段論法の主張
- しかし、有機農業でもBT剤農薬は使用可。BT剤は遺伝子組み換え品種の害虫抵抗作物が体内で作る毒性タンパク質を微生物から抽出した物質。
- オーガニックワインでは銅を含む殺菌剤を使用。銅は天然である一面、分解せず蓄積し影響
- 放射線で突然変異をおこさせる、突然変異育種はOKでなんで、ゲノム編集はダメなの?
- 新品種開発は日本の強みになる
- 有機栽培の問題点→収穫量の低さ→付加価値として価格に反映(小規模農家向け)
- 世界の種苗市場規模は450億ドル
- 日本の種苗メーカ「サカタのタネ」「タキイ種苗」、売上規模500-600億円。
- 日本というメディアバイアスにかかりやすい、科学的な思考が通用しない市場の魅力は?
- 日本はゲノム編集食品の安全性審査が不要の規制の枠組みを世界に先駆けて決めたので、世界を視野に入れた開発を行うチャンスである。国民の理解が不可欠。
- 国産技術がゲノムを編集を進歩させる
- クリスパー・キャス9の課題として、植物の細胞壁を遺伝子組み換え技術でゲノム編集ツールの遺伝子を入れ込み、ゲノム編集後に取り除くというステップが必要
- 課題解決:植物の成長点にクリスパー・キャス9直接を打ち込む技術。農研機構で開発iPB法
- 消費者志向で迷走していないか
- 「消費者の目に見える直接的な利益がなければ、理解されない」は本当か?機能性成分が本当に目指す作物なのか。
- 消費者はバカではない。新型コロナウィルスで加速している食料増産や地球温暖化対策という骨太の研究が優先のはずだ。(筑波大も高GABAトマト研究以外に日持ちのするトマトの研究)
- 科学リテラシーを育てる:従来の生乳(食中毒・感染症)→殺菌した牛乳の流通に時間がかかった話
- 人はどうして「昔ながらの」「伝統の」「自然な」「手作りの」のような言葉に弱いのか。
- でも、昔ながらの食品なんてほとんどない。トマトですら17世紀に日本に来た。しかも最初は観賞用
- 日本人が古くから柔軟に新しい食品に対峙したように、思い込みを排して総合的に判断する社会